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コンラート (ブルグント王) : ミニ英和和英辞書
コンラート (ブルグント王)[おう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

コンラート (ブルグント王) : ウィキペディア日本語版
コンラート (ブルグント王)[おう]
コンラート平和王(Konrad der Friedfertige, 925年頃 - 993年10月19日)はブルグント王(在位:937年 - 993年)。ルドルフ2世とシュヴァーベン大公ブルヒャルト2世の娘ベルタの子。ブルグント王としてはコンラート1世、古ヴェルフ家ブルグント系当主としてはコンラート3世といわれる。
父ルドルフ2世の後を継いで937年ブルグント王となった。ザクセン朝の歴代皇帝とは良好な関係を保ち、その在位の間は比較的平和であった。
ブルグンド王位は、息子のルドルフ3世が継いだが、ルドルフ3世は1032年嗣子なく没し、ブルグント王国は娘ゲルベルガとシュヴァーベン大公ヘルマン2世との間の娘ギーゼラと結婚した神聖ローマ皇帝コンラート2世により、1033年神聖ローマ帝国に編入された。
== 子女 ==
最初、アデラナという女性〔イングランド王エドワード長兄王の娘との仮説も立てられている(Ludwig A. Winterswyl, ''Otto der Grosse und das Erste Reich der Deutschen'', Obelisk-Verlag, 1937, p.95)〕と結婚、2子をもうけた。
* クノ
* ギーゼラ(950年頃 - 1007年) - バイエルン公ハインリヒ2世と結婚。神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の母。
950年頃、西フランク王ルイ4世の娘マティルダと結婚した。
* ゲルベルガ(965/966年 - 1019年) - 1.ヴェルル伯ヘルマン1世と結婚。2.シュヴァーベン大公ヘルマン2世と結婚。
* ベルタ(965/967年 - 1010年) - 1.ブロワ伯ウード1世と結婚。2.フランス王ロベール2世と結婚(1000年離婚)。
* マティルダ(969年 - ?) - ジュネーヴ伯ロベールと結婚。
* ルドルフ3世(970年 - 1032年) - ブルグント王(在位:993年 - 1032年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンラート (ブルグント王)」の詳細全文を読む




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